マルタの歴史第2弾! ~マルタ騎士団~
Hey Guy! マルタ校インターン生のKokiです!
今回はマルタの歴史について紹介する企画第2弾!
ということで、マルタの歴史を語る上では欠かせない「マルタ騎士団」についてご紹介いたします! 前回の記事でマルタで何故英語が使われるようになったのか・首都ヴァレッタの起源などについてご説明しておりますので、そちらもぜひご覧下さい→マルタの歴史第1弾 また、学校の様子はInstagramにも投稿しているのでこちらも要チェック!
ということで、マルタの歴史を語る上では欠かせない「マルタ騎士団」についてご紹介いたします! 前回の記事でマルタで何故英語が使われるようになったのか・首都ヴァレッタの起源などについてご説明しておりますので、そちらもぜひご覧下さい→マルタの歴史第1弾 また、学校の様子はInstagramにも投稿しているのでこちらも要チェック!
・マルタ騎士団の歴史
マルタにいらした方が必ず目にするであろうこちらの紋章。
この紋章はマルタの歴史の中でも深い関わりを持つマルタ騎士団の紋章なのです。
ではマルタ騎士団とは何なのか?
どのような目的で設立されたのかご説明していきたいと思います!
1110年頃、聖地に巡礼するキリスト教信者たちの手助けをするため、一つのカトリック修道院の騎士団が設立されます。
この騎士団こそが後のマルタ騎士団です。
騎士団といえば鎧を着て武器を持って戦うというイメージが強いかと思いますが、
<出典:despositphotos.com>
設立当初は聖地巡礼者が病気や怪我をした際に受け入れる病院・施設を運営する慈善活動がメインでした。
騎士団という名前でも現在の軍隊などにも共通するように戦闘・医療など、それぞれ役割分担がなされていたようですね。
慈善活動のために設立されたこの騎士団でしたが、 十字軍の遠征※1が激化するのにつれ彼らも戦闘に参加するようになります。
※1)十字軍につきましてはこちらのサイトをご覧下さい➡十字軍とは?十字軍を分かりやすく解説!
※2)地中海での貴重な拠点となるマルタ島を奪うため、オスマン帝国が約200隻にも及ぶ大艦隊によってマルタを取り囲んで行なわれた大規模な戦い。
詳細はこちらから→Wikipedia マルタ包囲戦
この大船団に対してマルタ騎士団は、地元住民(マルタ人)たちと力を合わせスペインからの救援が来るまでマルタ島を守り抜き、 最終的には見事オスマン帝国の撃退に成功しました。
ちなみに、この包囲戦が終結した9月8日はVictory day(勝利の日)として今現在でもマルタで祝日として祝われています。
さて、この戦いの中で人や建造物などたくさんの被害を受けてしまったマルタ島。
しかし包囲船での健闘を讃え各国から多額の義援金を得ることが出来ました。
その先の戦闘に備え、より強固な要塞を築き上げるため新都市建設計画がスタートします。
その新都市こそが、「以前の記事」でお話しさせて頂いた現在の首都ヴァレッタなのです。
その後もたくさんの活躍をみせてきたマルタ騎士団でしたが、16世紀に入りヨーロッパで宗教改革が起きたことに伴い徐々にその権力を失っていきます。
そして1798年、かの有名なナポレオン・ボナパルトのマルタ侵攻の際すでに武力を持っていなかった騎士団たちは戦うこともなくマルタ島を追われ、ついにマルタから離れていってしまいました。
騎士団がマルタに滞在していた約260年間、彼らがマルタの歴史の中でも重大な役割を担っていたことは間違いありません。
また、驚くべきことにマルタを去ってからも騎士団はその活動を本来の目的であった慈善活動に重点を戻し、今日に至るまで存続しているのです。
マルタを離れてしまってから領土は持っていませんが、国土なき国家として主権実体を持ち、 騎士団中央政府をイタリアのローマ・マルタ宮殿に置いて世界各国110カ国と外交関係を有しています。
現在も首都ヴァレッタには、マルタ騎士団にゆかりのある建造物が多く残されています。
・聖ヨハネ大聖堂
・騎士団長の宮殿
・聖エルモ砦
・騎士団施療院
・マノエル劇場
特に有名なこの5つの施設は、ヴァレッタの目玉観光スポットとなっております。
ぜひ今回ご紹介いたしましたマルタ騎士団の歴史を思い出しつつ、当時の彼らの生活を想像して観光を楽しんでいただければと思います!
Written by Koki Hashiyada